和光稲門会
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「第4回和光の歴史を訪ねる会」を実施しました
 2013年9月29日

 
 ▲今回訪れたのは吹上観音(東明禅寺、白子3丁目)

  929日(日曜)、「第4回和光の歴史を訪ねる会」が12名の参加で実施されました(参加者は以下のとおり)。
【参加者】(氏名音順、敬称略)
渥実/石川/加瀬/上川/慶田/佐藤/笹平/背黒/比企/久田
兵頭/松山
 

 第4回目となった今回の「和光の歴史を訪ねる会」の訪問先は、「吹上観音」で知られる東明禅寺。和光市白子3丁目に建つ臨済宗建長寺派の寺院です。開山は康暦2年(1380年)と古く、奈良時代の高僧・行基が製作したと伝えられる観音を安置しており、地名をとって「吹上観音」として知られるようになったそうです。

 
 ▲ガイドを務めてくださった副島元子さん(中央)

 秋晴れのこの日、ガイドを務めてくださったのは、NPO法人「和光・文化を育む会」顧問の副島元子さん。この「歴史を訪ねる会」では何度もお世話になっています。
 お寺周辺を散策したあと、東明禅寺へ。石造りの急な階段をのぼって三門(仁王門)をくぐると、立派な本堂(観音堂)がみえてきます。ここに行基作とされる観音様があるのですが、その姿を拝めるのは12年に1度のご開帳のときだけです。今回は残念ながら本堂にあがることはできず、副島さんの解説を聞きながら境内をゆっくりと散策しました。
 本堂に裏手に足を伸ばし、全国でも珍しい「百庚申」を見学。130余りもの庚申塚が居並び、和光市の文化財にも指定されています。
   
 ▲三門(仁王門)をくぐると本堂が正面に。  ▲本堂では法要が営まれていました。
  
 ▲全国でも珍しい「百庚申」。130余りの庚申塚がならぶ。

 「今日は、ぜひ早稲田の皆さんにみていただきたいものがあります」
 そう言って副島さんが指差したのは、境内の墓地入口に立つ慰霊塔。
みると「海軍航空大尉 清水武明」とあります。

 「この方は早稲田の学生さんだったのです」
 石碑の裏に、こう刻まれていました。
 「行年二十八才 早稲田大学中退…八月九日沖縄近海ニ於テ戦死ス」
 特攻隊で海の藻屑となった若い命。
 「あと数日で戦争が終わったのねえ…」
 だれかがつぶやきました。今回の「訪ねる会」は、戦争の愚かさと平和の尊さを身近に感じる機会にもなったようです。

 
▲特攻隊で戦死した早大生の死を悼む慰霊塔 
 
▲ 供養塔の裏には「早稲田大学」の文字が。

 東明禅寺の見学を終えた一行は、今度は吹上コミュニティセンターへ移動。今年6月に亡くなった鈴木勲二前会長を偲びつつ、句会を開催しました。講師は前回の「訪ねる会」でもご指導いただいた加藤三辰先生と、東大和稲門会の日景洋一さんです。

   
▲俳句づくりに悪戦苦闘(?)の参加者(左)。会員の句を添削する加藤三辰先生(右)

 「うーん、むずかしいなあ…」
 「なかなかできないねえ…」

 毎度のことながら、一句詠むのもひと苦労です。この日参加した会員12名が詠んだ句は40句ほど。なかでも三辰先生がとくに高く評価した4句を紹介します。

 急磴を 登りて山門 木の実落つ  よういち

 秋めく日 稲門集いて 吟行す   たつお

 幾多もの 秋思を集む 英霊碑   なおひろ

 秋空に いにしえ伝う 水行場   えいしゅん

 句会のあとは懇親会。場所は東武東上線「成増」駅前の居酒屋です。飲んで食べて、大いに交流を深めました。飲み放題でアクセル全開(?)。ビール、冷酒、ワイン、焼酎と、とても酔い(良い)懇親会となりました。最後に鈴木前会長に献杯し、秋の夜風に吹かれながら帰路につきました。
 

  最後に、副島元子様、加藤三辰先生、日影洋一様、ありがとうございました。

                           【文:背黒文宏/政経90年卒】

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