和光稲門会
会員コラム


 インドに通い始めて半年
西田千博(90年政経卒)

 
 ▲雨上がりのムンバイの街角で。道路が冠水中。

辞令は突然に

 「インドプロジェクトの専任をやってもらうことになった。」

 本年2月のある日、上司から突然の内示を受けました。

「専任ということですが、いつまでやればいいんですか。私の後任はどうなるのでしょう?」と至極当然の疑問を呈した私に対し、上司は

「年内にインドに子会社を設立し、子会社ができたらそこに行ってもらう。西田の後任はXXに決まっているので心配ない。」

といとも簡単に答えてくれました。

まるでマンガの島耕作シリーズのようなやり取りを経て、部下も経費も失って丸裸となった私の、インドと日本を行ったり来たりの生活が始まりました。


インド雑感

でこぼこの道。「こりゃ、道路整備が必要だなぁ。」

毎度毎度の交通渋滞。「地下鉄や新交通システムが必要だなぁ。」

頻発する停電。「発電所がもっと必要だなぁ。」

路上で暮らす人々。「住宅もまだまだ足りないなぁ。」

建設機械を扱う仕事をしている私にとって、今後多くの建設工事が見込まれるインドという国は、宝がたくさん埋まっているような気がします。

しかし、道路を闊歩する野良犬ならぬ野良牛、その牛と一緒になってゴミあさりをする人々、交差点で止まっている車に近寄ってくる物乞いの子供たち、こういう光景を見ると、果たしてその宝の山はいつ出現するのか、来年なのか? 再来年なのか? はたまた10年先なのか? 今のところ見当がつきません…。


和光稲門会・異国にて

 6月のある日、今年に入って5回目のインド出張のため、いつもの通り成田を発ち、乗り換え地のバンコク・スワンナプーム空港に降り立ちました。保安検査場を抜けたところで、あれ?あの方は?何と、和光稲門会会員の住田先輩がそこにいらっしゃるではありませんか。住田さんも今から社用でバンガロール(インド南部の都市)に向かわれるとのことでした。私はムンバイ(インド西部の都市)へ向かうため、異国で偶然出会った和光稲門会2名、お互いの旅の無事を祈ってその場で別れました。

大先輩も頑張っておられるのを見て、自身にも気合が入った一日でした。

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