和光稲門会
会員コラム


 和光稲門会新年会に参加して
黒澤俊雄(61年第一理工卒)
 

 眼下に西早稲田キャンバスが見渡せる大隈タワーでの新年会は、盛り上がりました。地元での宴も良いけれども、この地は格別で、外では味わえない量のスピリットに満たされ、宴もたけなわとなるや、たちまち60有余年のタイムスリップが起こり、若き日の血潮が蘇った諸大先輩の方々は意気軒昂。安保幹事の指揮による校歌斉唱の歌声は、早稲田の杜に響きわたりました。さらに鈴木会長による「フレーフレー和光稲門会」のエールのリードには、一同圧倒させられ、張りのある声を「どこからあのような声が」とザワメキが絶えませんでした。



 キャンパスツアーも良い企画でした。新旧入り交じった校舎群は、進化する早稲田を象徴しています。でも、2号館は解体中で甍が段々消えていくのは寂しい。早稲田にもオックスフォードやケンブリッジ程にいかないまでも百年以上の甍があっても良いのでは。丸の内の一丁ロンドンが消え、一丁ニューヨークになってしまったが、早稲田から甍を消さないで欲しいものです。

 2号館は、ピカピカの新入生の時、経済学概論を習った学舎。履修者の数が座席数を上回るオーバーブッキングのせいで、立ち見席が出来たのには驚きでした。でも、出席者数が徐々に減り、秋頃には、出席者数と座席数が一対一に対応する様になったので、立ち見席は解消されました。法学は1号館でしたが、同じ現象が起きていました。

 
 英語は大隈銅像の背後の教室で、小沼丹先生でした。先生はのち、文化勲章を受賞されました。

 私達の時代は、理工学部も西早稲田キャンバスにあって、演博の隣の9号館にある物理と化学の実験室で夜遅くまで実験した事が思い出されます。14号館と安部球場の向かいの15号館が主な専門科目の学舎で、15号館とは名ばかりで早稲田では唯一の木造のボロ校舎でした。不思議な事に、ボロ校舎が意外にも誇りに思ったりしたものです。そこに、製図室があって、野球の練習の元気な歓声を聞きながら烏口を握って図面と格闘した事も懐かしい。



 鈴木会長はじめ諸先輩、また、若手の精鋭に囲まれ世代を超えた話が弾み、これからの稲門会の催についてもアイデアが飛び出しました。国会訪問や国会見学など。当会顧問に衆議院議員野木先生がおられます。先生のお力をお借りして、実現して頂きたい。是非、今年のプログラムに入れられる事を希望します。

 出来立ての稲門会でありながら、伝統稲門会をしのぐ充実した活動内容。これは鈴木会長の指導力と加瀬幹事長夫妻の企画力と気配りのおかげです。夫唱婦随の奉仕に感謝!!! 乾杯。

 
 ▲キャンパスガイドの説明に聞き入る筆者(稲門会幟の左)

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