眼下に西早稲田キャンバスが見渡せる大隈タワーでの新年会は、盛り上がりました。地元での宴も良いけれども、この地は格別で、外では味わえない量のスピリットに満たされ、宴もたけなわとなるや、たちまち60有余年のタイムスリップが起こり、若き日の血潮が蘇った諸大先輩の方々は意気軒昂。安保幹事の指揮による校歌斉唱の歌声は、早稲田の杜に響きわたりました。さらに鈴木会長による「フレーフレー和光稲門会」のエールのリードには、一同圧倒させられ、張りのある声を「どこからあのような声が」とザワメキが絶えませんでした。 キャンパスツアーも良い企画でした。新旧入り交じった校舎群は、進化する早稲田を象徴しています。でも、2号館は解体中で甍が段々消えていくのは寂しい。早稲田にもオックスフォードやケンブリッジ程にいかないまでも百年以上の甍があっても良いのでは。丸の内の一丁ロンドンが消え、一丁ニューヨークになってしまったが、早稲田から甍を消さないで欲しいものです。 2号館は、ピカピカの新入生の時、経済学概論を習った学舎。履修者の数が座席数を上回るオーバーブッキングのせいで、立ち見席が出来たのには驚きでした。でも、出席者数が徐々に減り、秋頃には、出席者数と座席数が一対一に対応する様になったので、立ち見席は解消されました。法学は1号館でしたが、同じ現象が起きていました。
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