和光稲門会
会員コラム


 63年前の和光市のワセダ

栗原三男/副会長(53年商卒)

 昨年9月に「和光稲門会」がめでたく発足しました。最年長(注)の私として誠に喜ばしく、長生きをした甲斐がありました。現在の入会者66名、案内状の発送総数540通はとても信じられない、まさに浦島太郎の心境です。

 この機会に私が入学した昭和221947)年当時の和光市の早大生の状況について記憶を巡って思い出してみたいと思います。

 その頃の早大生は、大石真さん(4年先輩)、田中育三さん(3年先輩)と私の三人だけであったと思います。簡単に紹介してみますと、、、。

大石 真さん
 1944年第一早高入学、坪田譲氏顧問の早大童話会入会、1946年終戦の翌年、いち早く「白子文化会」を結成され、関東大震災で家族を失い、新倉村の叔父宅へ身を寄せ、その後白子に在住されていた著名な童謡詩人「清水かつら(本名 桂)会」(叱られて・雀の学校等の作詞者)の会長として活躍されました。
 
1950年文学部卒業、児童文学者として、新人賞小学館文学賞等受賞され、児童文学協会の理事をなされました。

田中 育三さん
 白子小学校、旧制川越中学校、早稲田大学と私の直径の先輩で、中学時代相撲部の中心選手として埼玉県代表で全国大会にも出場された方でした。
 政経学部を卒業され、自宅の資産運用管理をなされていました。先年、お亡くなりになり淋しい限りです。キャンパス内で顔が会うと、私の子供時代のニックネーム「デコちゃん」と大声で呼ばれて辟易したのも懐かしい思い出です。

栗原 三男(私)
 1947年旧制第二早高入学、52年新制商学部卒、埼玉銀行(現在の埼玉りそな銀行)に10年、親友の会社に40年、ビジネスに携わりました。顧みて「面白かった」人生です。
 これもワセダ時代、特に高等学院時代、終生の友人を得たお蔭だと思います。「和光稲門会」が、会長を中心として纒まって、「仲良く楽しい会」に発展され、「あゝ面白かった!長生きして良かった。」と人生を総括させていただくような会となるよう祈念して、先輩の言葉といたします。 

(注)その後、小野裕次郎さん(1947年理工卒)が会員になられました。

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