和光稲門会
会員コラム


 最後のホームカミングデイ
久田辰夫(62年法卒)
 
 快晴の去る10月16日(日)、最後のホームカミングディ・稲門祭に参加した。思えば、昭和33年一浪後憧れの早稲田大学第一法学部に入学、昭和37年思い出多い学園を卒業。あれからなんと50年が経過したのだ。(註:ホームカミングディには、卒業後15、25、35、45、50年経過した校友が例年招待される)


 人生50年といわれた時代を生きた一人として、この50年の重さを感じざるを得ない。懐かしいあの角帽を誇らしげにかぶって通学。浪人経験者の多いことに一安心? 人数の多い授業にビックリ。あの早慶六連戦を応援、武蔵野館前で角帽を投げ合って祝優勝…。


 全ての思い出も良き友人がいたからこそだ。記念会堂での記念式典で肩を組んで“都の西北”を大声で歌った。なぜか感動して涙が出てきた。酒席で友人が語った“涙が止まらなかったよ“の一言で自分一人でなかったことになぜかうれしくなった。早稲田はまさに“心のふるさと”だ。

記念会堂から校友・現役で大混雑の構内を一周してクラス会の会場・大隈庭園裏のリーガロイヤルホテルに急いだ。1,2年生時のクラスは62名、現在は死亡10名・住所不明5名だ。クラス会の参加予定25名のうち体調不良・急用などで当日の参加者21名。これでは幹事が参ってしまう。 幹事役のお陰で40年近く毎年続けてきたクラス会だが、これを最後にしたいという提案があった。しかし継続しようとの声が大きく、嬉しいことに続けることになった。新しい幹事も加わった。

全員の近況報告では自営業・大学教授・市長など現役もいたが、ほとんどはリタイアし悠々自適?の生活を送っている。一方、呑めなくなった、足腰が痛いなど現役時代を思い出すと考えられない年相応の現象も残念ながら知らざるを得なかった。健康のありがたみを改めて感じる。

 今思うと、今までの人生常に早稲田出身の誇りを持って生きてきた気がする。この誇りが我が人生を支えてくれた。これからも永遠に誇れる我が母校だ。

 
 ▲ホーム・カミングデイと同じ日、稲門祭でにぎわうキャンパス

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